WHOよ、日本よ、どうする?
コロナ禍が越年することは明らかになった。欧州では再度のロックダウンが行われ、英米ではワクチンの接種が始まり成果を待つ。日本では、GO TOキャンペーンが批判され一時中止に追い込まれるとともに、政治家の「ルール違反」会食があげつらわれ、相変わらずの混迷ぶりである。
疫病対策は国ごとに行われ、台湾やシンガポールが称賛されたり、アメリカやスウェーデンが批判されたりしてきた。世界的オピニオンリーダーのユヴァル・ノア・ハラリは、このパンデミックを乗り切る手段として国際協力を主張するものの、世界の動向はそうではない。専ら主権国家の個別な取り組みが競われている。
そもそも保健衛生の国際協力機関として70余年の歴史を持つWHOは、アメリカがその中国寄りの姿勢を批判して脱退宣言し、バイデン大統領が就任すれば復帰することになっても、果たして、世界の疫病終息のリーダーシップをとれるのかは疑問である。
WHOはアメリカが脱退して分担金を支払わなくても、アメリカからは分担金とほぼ同額のビル&メリンダ・ゲイツ財団からの寄付が行われている。しかも、WHOは第二次世界大戦中にアメリカが国連加盟国だけではなく非加盟国も含んだ脱連合国の機関として発足させた経緯がある。即ち、WHOの存在にはアメリカの功績が大きい。
筆者は、80年代、ユニセフのインド事務所に務め、WHOと連携してインドのポリオ予防接種キャンペーンの仕事を担った。WHOが接種対象の子供数の把握方法を確立し、ユニセフはともにその調査を行い、また、コールドチェーンの整備などを行った。国際機関の中で、WHOとユニセフの2機関が際立って現場主義であり、プログラムも予算も自ら作り、いわゆる本部指令型の業務形態とは対照をなしている。
その後、筆者は厚生省(現・厚労省)に戻り、WHOのジュネーブ総会に出席するようになって驚いた。そこは、政治の場であり、巨大な官僚機構の場であった。80年代末、アメリカはWHOの方針に反対して、脱退し分担金を止めた。アメリカの参加のない総会は、まさに心棒を失った会議であり、全世界に国境のない保健衛生を普及させるには、大国の力、いや、アメリカの力が必要であることを痛感した。なぜなら、専門家集団の送り込みも医薬品の開発力も、アメリカがダントツだからである。
WHOのテドロス事務局長はマラリアの研究者でありエチオピアの保健大臣と外務大臣を務めた政治家でもあるが、アメリカを理解していなかったのではないかと思われる。WHOからの脱退は上述したように、初めてのことでもなければ、トランプ大統領だからでもなく、アメリカは、しばしばユネスコや国連人口基金の脱退もしてきた。
テドロス氏は、2003年中国でSARSが流行したときに、当時のWHO事務局長グロ・ブルントラント氏が中国の情報隠蔽を批判し、加盟国中国との関係を悪化させたことを特に意識したと言われている。ブルントラント氏は、元ノルウェー首相で、92年リオデジャネイロ開催の地球サミットを成功させた女性である。筆者は直接にお話ししたことがあるが、パワフルで明快そのもの、テドロス氏より少なくとも政治家としては一枚上手のような印象を持つ。
WHOがコロナ終息に向けて加盟国の行動基準を作ってリードし、開発途上国へのワクチン供給を率先して行えるように、すぐにでも体制を整えねば、今始まったことではないWHOの力不足はさらに下り坂となろう。悲しいかな、日本は、今、WHOどろこではない。保健所を減らしてきた公衆衛生体制を、今後繰り返すであろう疫病対策に向けてどう立て直すのか、層の薄い感染症専門家集団をどう養成するのか、そして疫病を原因にしているがその実、内在的に経済低迷している状況をどう脱するのか、方針は全く見えない。