日々雑感

子育て政策に科学を

 「ヒトの発達の謎を解く」の著者である明和政子京大大学院教授のお話を聴く機会を得た。この欄で以前紹介した山極寿一元京大総長と同じく京大霊長類研究所で、チンパンジーとヒトの違いからヒトの発達を研究し、子育ての科学で大きな発言力を持つのが明和先生である。
 チンパンジーは6ー7年かけて子供を一頭づつ大人にしてから、次の子供を産むように仕組まれている。ヒトはそもそも子供を超未熟児として生み、成長までの時間が長い上に、未熟児を抱えたまま次の子供を産む。これは、ヒトが母親だけではなく、「共同養育」により生存、進化してきたからであると先生は説く。
 共同養育を生物学的に運命づけられているにもかかわらず、人間社会では長らく「子供は母親が育てるもの」である文化を作り上げてきた。筆者が90年代半ばに厚生省で児童行政に携わっていたころ、「子供は3歳まで母親が育てねばならない」三歳児神話や「保育所育ちは幼稚園児に劣る」という根拠のない意見が世の中で支配的であり、行政も、保育所の整備に及び腰だった。
 しかし、少子化対策の要として保育所が位置付けられてからは、女性の社会進出やデフレによる共働きの必然が状況を変えてきた。いつの間にか保育園児の数は幼稚園児を抜き、保育所に入れないことが「保育所落ちた。日本死ね」というほどの問題にまで達するようになった。保育所は一定の地位を得たのである。
 この事実は喜べない。明和先生の言う「共同養育」こそが本来の子育てであるという発想が受け容れられたわけではなく、少子社会と生産年齢人口の減少という背景から、女性の労働力をバックアップする形で、子育ての省力化、利便化を図ろうとしたのが近年の保育所の発展にすぎないからである。
 90年代半ば、少子化政策が始まったころに明和先生の研究成果が出ていれば、「量的に増やせばいい」という政策の在り方は違っていただろう。母親が労働市場にいようがいまいが、共同養育の施設として全ての子を対象に、専門性を高めた施設の在り方が求められてきたはずである。
 母親が産後うつやヒステリーになるのは誰にでも起きる現象であり、それを抑制できるのは共同養育者の存在である。父親はもちろんだが「イクメン対策」は徐に改善するにとどまり、祖父母、保育士のみならず、もっと様々なボランティアを含む社会資源を政府主導で制度化すべきである。
 脳科学や心理学から既に多くの指摘が出ているように、なべて乳幼児期に信頼できる養育者が複数いる子供は青春期の不安定を乗り越えやすい。また、明和先生の指摘によれば、ヒトは15歳くらいで性的成熟を遂げるが、脳が成熟するのは25歳くらいであるとのこと。社会は、法制度的にではなく、生物学的に真実に成熟できるまで「共同養育」の立場で若者を見守っていく必要があると考える。
 医療の現場ではEBM(Evidence Based Medicine)が注目されているが、教育、福祉の現場では遠い先のことのようだ。政策立案者も統計だけではなく、ましてや政治家の思い付きを忖度するのではなく、科学的な政策策定に向かわねばなるまい。少子化政策と子育て政策に求められるのは、今まさに科学である。

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