一夜空しく、応仁の乱
日本人は、源平盛衰記や信長以降の全国統一を目指す戦国大名の歴史に興味を持つが、室町時代には関心が薄い。教科書も、この時代の記述はお粗末だ。しかし、誰もが知る、一夜空しく、つまり、1467年に始まった応仁の乱の年代だけは暗唱している。
細川護熙元首相は「細川家にとって戦争と言えば応仁の乱のことだ」と言った。当時、彼の先祖である細川家は将軍の下で管領と呼ばれる重職(今で言えば大臣か)に就くお家柄であり、将軍家と重鎮のお家騒動が11年にわたる戦争を起こし、京都は焼け野原になったのである。
前置きが長くなったが、国民にとって影の薄い室町時代の歴史が、今ここに始まった。自民党総裁選に、我も我もと飛び込んできた様相である。殆どがひこばえ政治家だが、ひこばえの自慢は「お家柄」。菅総理は農家出身で、民を支配するために作られた学習院や成蹊やらの学閥を欠き、農奴のように朝から晩まで働く姿と金を配ることで対抗しようとしたが、「負けた」。もしかしたらシナリオ通りに「負かされた」のかもしれない。
医療カオスを収めるのは並大抵の政治家ではできない。ところが、その前に政治カオスが来た。岸田氏を無投票で総裁に選出すればまだしも、このカオスは必要以上に衆議院選で自民票を減らすであろう。自民は、維新、国民民主、上田新党と連立をすることになるだろう。
立憲民主党は政権交代を口にするが、それはない。確信を以て、ないと言える。左翼の哀しさか、一人一人が別の方向を向き、枝野党首は求心力を持たない。そもそも、菅総理と同じく、国民への説明能力に欠ける。旧社会党の亡霊のようでもあり、そのバラバラ感は、旧民主党の失政を思い起こさせる。応仁の乱を傍観し、焼け野原で出番を待つのは無策だ。
応仁の乱が始まった。日本はこれから長期にわたって政治カオスを続けなければならないのか。国際社会での日本の地位を考える政治家はいないのか。