共同養育こそ解決策
社会を騒がす児童虐待が起きると、やれ児童相談所の介入が遅い、やれ親業の教育が必要だと議論が巻き起こる。しかし、しばらくすると、次の虐待が起きるまで議論は沈潜する。その繰り返しで、虐待は永遠に解決しない。
もっとも、動物の世界でも育児放棄が観られるのであるから、この問題は完全な解決はないのかもしれない。ただし、人間は社会を構成する生き物だから、社会が集団で改善の方向を取ることはできるはずだ。
今般、友田明美福井大学教授の「マルトリートメント」のお話を聴く機会を得た。友田先生は虐待や不適切な子育てという言語は上から下への目線なので、代わりにマルトリートメントという英語を使うことにしているそうだ。小児科の臨床医らしい配慮だ。また、脳科学の研究においても、臨床経験に裏打ちされ、納得のいく内容であった。
先生の脳科学研究によると、暴言は脳の聴覚野を変形させ、厳しい体罰は前頭前野を縮小させ、親のDVを見聞きすると視覚野が縮小するとの結果を得ている。また、身体的な暴力よりも怒声や暴言の方が子供の脳に深刻な影響を与える。脳科学の発達により、心理学的研究にとどまらず、生物学上の立証をもたらした大きな成果と言えよう。
友田先生は臨床医らしく、この研究成果から「解決策」を提唱する。子供の持つべき愛着の再形成とマルトリートメントの予防には、学校、保育所、児童相談所などコミューニティの社会資源を総動員し、「とも育て」をすることである。これは、筆者がこの欄でも紹介した明和政子京大教授の人類学からはもともと共同養育の遺伝子を持っていることにつながる。
また、明石要一千葉大名誉教授の「ナナメの関係構築」では、親子の縦関係、友達などの横関係以外に、第三者的なナナメ関係を持つことが健全育成に貢献するという識見とも一致する。即ち、母子関係で完結させてはいけない、一対一の子育てこそ危険であることが多数の分野で明らかにされている。
筆者が厚生省児童家庭局の企画課長をしていた90年代半ばでは、まだ「三歳児神話」がまかり通る時代であり、保育所無用論も多かった。しかし、今の科学でこれは完璧に否定されたのである。明和先生の共同保育者には、小さな兄姉も含まれている。子供は一歳を過ぎれば、子供の世界に最も興味を持つ。少子社会では、兄弟が少ないことから、子供の心を満たすのは保育所なのである。保育所は「保育に欠ける児童の福祉施設」を脱し、すべての子供に与えるべき「場所」に変えねばなるまい。
友田先生は、もう一つ提言している。マルトリートメントは、親にも視点を当てねばならない。マルトリートメントを受けた親は子供に同じマルトリートメントを実行する。子育てや結婚は、狭い世界で見た経験を繰り返す傾向がある。一般論だが、離婚した家族の子供は離婚しやすく、社会養護で育った子供は自分の子供も社会養護に送りやすい。連鎖を断ち切るには、親への支援策もセットで行わねばならない。
かつて児童福祉行政に身を置いたとき、母親が子育てすべきで保育所不要論を主張した勢力に、集団保育のメリットを掲げ反論していた筆者は、今、自信をもって共同養育、ナナメ関係、とも育てを勧めることができる。