日々雑感

量より質を求めよ、保育所対策

 高齢化社会、高齢社会、超高齢社会とは、高齢者が総人口に占める割合が夫々人口の7%、14%、21%を占める社会と定義される。定義は明快で、日本は、高齢社会に達した1995年頃から介護保険法に取り組み、少数者のための福祉制度から、すべての高齢者を対象とした契約ビジネスへと政策転換したのである。
 これに対して、少子化は、1989年の1.57ショック(合計特殊出生率)を機会に、当時女性の権利が強化されていたため、人口政策の言葉を忌避し代替として作り出され、定義は明確ではない。ただ明らかに、出生率向上を狙った政策として始まった。しかし、高齢者に比べると、介護保険に相当するような新たな枠組みはおろか、政策目的にかなう状況は全く生み出されてこなかった。
 その元凶は、政府が予算を付けた最初の少子化対策が1994年のエンゼルプランであり、保育所の整備が中心だったからである。以降、少子化対策と言えば保育所の整備と短絡し、21世紀には待機児童ゼロが政府の掛け声となって、首長の公約は保育所の整備に集中した。
 現在、コロナ禍とウクライナ侵攻がニュースの殆どを占め、忘れられているが、一時期は「保育所落ちた、日本死ね」の言葉が踊り、保育所の量的拡大が最優先とすら捉えられたこともあった。
 その結果、大都市圏では、首長が社会福祉法人の保育所整備に必要な設置者負担を支出したり、保育士の加給をするなどして大規模保育所が増設された。立派な建築の保育所、高給求めて転職してきた保育士が観られるようになり、90年代に厚生省児童家庭局で児童福祉に携わった身には、隔世の感がある。
 ところが、この現状に対して、元埼玉県教育委員会委員長である松井和氏が「ママがいい!」という著書の中で現今の政策に噛みついた。保育所一辺倒の子供政策では、当事者である子供自身の利益が阻害されているとの趣旨だ。かつての筆者であれば、この題だけ見て反発を感じたかもしれない。なぜなら、根拠のない三歳児神話によって保育行政は滞っていたからである。
 しかし、松居氏の論調は三歳児神話に戻れと言うような安直なものではない。保育の現状は、女性に子育てよりも労働の価値が高いことを教え、首長が保育所整備を「やってる感のある」少子化対策の中心ととらえ、保育所整備が少子化という名の免罪符となっていることに反撃しているのである。そこには、子供を育てる親の責任も、もっぱら子育て産業化した現場の職業意識も、子供への配慮も感じられないと言うのだ。
 その通りではないか。筆者は、児童家庭局の課長時代、保育所の整備は必要不可欠と考えていたが、あくまで親が育児の第一次責任者であり、長すぎる預け時間や欠員補充をやりつつ常に保育士が変わる状況は好ましくないと考えていた。集団保育に丸投げするのではなく、工夫をこらし金銭を使ってでも、自宅での保育を充実させる努力をしなければ、子供は保育産業の工業製品になるだけだ。
 すでに、義務教育の現場ではモンスターペアレンツが跋扈していて教師を悩ましているが、保育所でも保育士泣かせのモンスターペアレンツが多くなってきている。それは、自分が親として育児の第一次責任者であることを忘れているからである。補完的にお世話になる保育士に任せきりで感謝の気持ちが伝えられない親も多い。少子化の御旗の下、預けるのは母親の権利と思い違いしているのだろう。
 松居氏の優れた指摘に共感してやまないが、蓋し、保育所が子供の利益に反すると言うよりは、親に問題があり、通り一遍の保育行政を行っている首長も、さらには政策立案者にも問題があると考える。今となっては、少子化対策イコール人口対策は忘れられているけれども、少ない子供の社会で、兄弟姉妹、近所の遊び相手もいないのだから、保育所は必要な施設である。少子化(=人口政策)には役立たないが、少子社会の重要な要素であることは間違いない。
 ならば、保育所の大量整備から質的向上の時代に移ったと考えるべきだ。人口政策を離れ、本来の意味での保育所、つまり子供の発育に不可欠な保育の質を追求しなければならない。望むらくは古くから地元で社会事業を行ってきた設置主体の小規模保育所を増やし、寄り合い所帯で産業化した大規模保育所にだけ委ねる行政を止めるべきである。児童養護もかつての大舎制からグループホームへと変わってきたことを認識し、児童福祉の先達に学べ。子供の利益には密接な親しい小規模保育の場を作ってやることだ。同時に、親、親たるべしを社会として教えねばなるまい。

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