日々雑感

量から質へ―教育と社会政策

 参院選は国政評価の機会を提供する。これに合わせて岸田内閣の経済政策である「新しい資本主義」と「骨太」が公表された。前者は中長期計画、後者は予算編成方針だが、一般の評価はそこそこである。
 今回は防衛費と物価高が争点になりそうだが、そもそも経済政策はこの30年、つまりバブル崩壊後失敗続きであり、誰も政府の方針を明るく受け止めてはいない。小渕首相の財政出動も、小泉首相の規制緩和も、安倍首相の金融緩和も、結果的には日本経済の復活につながらず、日本は、借金まみれで、消費意欲の低い「貧しい国」に甘んじている。
 経済政策ばかり前面に出ているが、労働力を作る教育や、消費意欲に関わる社会保障・社会政策は、経済政策に内包された責任を持つ分野である。
 教育は、明治以来の義務教育、昨今の高等教育において量的な問題は終っている。日本社会にとって求められる教育の質が問題であり、その質の議論はゆとり教育を始めダッチロールを続け、労働生産性向上につながる結果にならない。また、社会保障・社会政策は今だに量の問題、即ち財政論が中心であり、質の問題にまで到達できない。
 最近、栗原慎二広島大大学院教授のお話で、いじめや不登校など問題を抱える学校の解決に導くケースメソッドを学んだ。岡山県総社市、宮城県石巻市で行われた子供自身の解決能力を使った試みである。生徒、地域、教科以外のプロフェッショナルが参加して自ら解決方法を考え実践する。栗原教授はこの方法をイギリスなどの実践から学んで確立し、見事に成功した。
 筆者の理解では、これは、教師や教育委員会が上に立って解決する「企業のようなやり方」ではなく、いわばゲマインシャフト(情緒的な共同体)を作って、共同体が問題児をそのメンバーとして扱うことにより、健全な日常を取り戻す方法だ。確かに、これまで、企業のようなやり方、即ちゲゼルシャフト的な方法では解決できなかったのであるが、上下関係ではない信頼関係を築くことにより解決に導いたのはうなずける。
 栗原教授によれば、日本の教員は優秀だが、それは教科を教える上で優秀なのであり、学業が優秀であると言うに過ぎない。問題行動に対しては、上から下に教えるのではなく、見守る姿勢が必要である。それができない。ゲゼルシャフトは集団利益を得るための共同体だが、ゲマインシャフトは非合理性はあるものの個人の利益を守る共同体である。
 質の議論に程遠い社会政策の分野においても、民間主導で「ゲマインシャフトづくり」が行われている場合もある。筆者が最近見学した薬物乱用者の民間更生施設では、まさに、治療者が被治療者を治す上下関係をなくし、被治療者同士の交流やマッサージや健康食を口にしながら、穏やかな日々を重ね、当たり前の日常に戻っていく方法をとっている。幸い、費用は企業の社長がすべて寄付しているとのことである。
 これもゲマインシャフトづくりに他ならない。筆者は東京生まれ東京育ちでゲマインシャフトの経験はない。しかし、日本人の圧倒的多数は、地方から都会に出てきた経験者であり、青年に至るまでにゲマインシャフトの経験がある。ゲマインシャフトは一方ではうるさい田舎のしがらみであり、長老の独断的な関りであるかもしれないが、他方で、だれ一人取り残さない包摂社会であることも事実だ。
 都会に出てきて合理的なゲゼルシャフトで心を病み、果てはひきこもり、薬物乱用など非社会的・反社会的行動に至った人々の心を癒すのは、ゲマインシャフト的な集団に置くことだと思われる。
 さて。話は少々飛躍するかもしれないが、経済政策の基礎である消費構造を変えるには、ゲマインシャフトの集団作りが効果あるかもしれない。社会に不安があるために貯金するしかない日本人の行動を劇的に変えるには、その発想が必要である。

日々雑感一覧